冥福を祈って焼香する及川和男さん

 一関で色川武大さんをしのぶ会
 4月10日は阿佐田哲也のペンネームで麻雀小説も多く残した直木賞作家色川武大(たけひろ)さんの命日。毎年この日には、一関市台町の祥雲寺(千坂げんぽう住職)でしのぶ会が開かれる。第10回忌法要には、作家の三好京三さん、及川和男さん、馬里邑れいさん、著述・出版業の小池平和さんなど十人が参列し、故人の冥福を祈った。

 色川さん死去の後、一関市に寄贈された遺品すべての常設展示が実現していないことから、遺族の意志に報いるためにも展示公開できる記念館を早期に建設したいと、構想について意見交換が行われた。

 色川さんの遺影が掲げられた祭壇を前に千坂住職が読経。一関に新たな活動の場を求めた直後に急逝した色川さんをしのんで、参列者の一人ひとりが焼香した。文学の蔵設立委員会会長・三好さんは「色川さんは一関にほれて移住した作家です。遺品もいただいているので、記念館実現の活動を充実していきたい」とあいさつした。(左写真)

 法要のあとには、翌11日の「第一回阿佐田哲也をしのぶ麻雀大会」に先だって三好京三さん、馬里邑れいさん、千坂住職らが、麻雀卓を囲んだ。(右写真)千坂住職は「全国の阿佐田フアンから申し込みや問い合わせの電話がたくさんあった。励ましの手紙もいただいたので、これからも色川・阿佐田の両方をPRしていきたい」と麻雀大会を、色川さんの記念館建設の構想も含めて遺品を有効活用するための起爆剤にしたいと張り切っていた。

 色川さんは、1989年3月、新たな文学活動拠点と静養を兼ねて一関市に転居したが、一ヶ月後の4月に60歳で急逝した。その後、生原稿やビデオ、写真など約七千点の遺品が孝子夫人から一関市に贈られた。

 色川さんは、昭和1929年東京生まれ。32歳のときに「黒い布」で中央公論新人賞を受賞。この後、阿佐田哲也のペンネームで週刊誌に「麻雀放浪記」を連載。1977年には「怪しい来客簿」で泉鏡花文学賞、1978年には「離婚」で直木賞、1981年には「百」で川端康成賞、1989年には「狂人日記」で読売文学賞に輝き、作家の地位を確立した。

 阿佐田哲也をしのぶ麻雀大会
 十回目の命日を記念して1998年4月11日、祥雲寺花園会館で「第一回阿佐田哲也をしのぶ麻雀大会」が開催された。大会は直木賞作家三好京三さん、祥雲寺住職の千坂げんぽうさんらが呼びかけ、一関に事務所を置く「北上川流域の歴史と文化を考える会」と、東北の文学拠点づくりを目指す「文学の蔵設立委員会」の会員有志による実行委員会(千坂げんぽう委員長)によって行われた。

 午前十時から行われた大会には、遠くは富山、長野、東京からも参加者があり、真剣勝負を繰り広げながらも、同じ阿佐田哲也のフアンとしての交流を深めた。

 最初に、千坂住職が読経後、参加者を代表して一関在住の作家及川和男さんが焼香した。引き続き、実行委員会を代表して三好さんが「阿佐田さんは一関にほれて移住した。昨日は色川さんの命日だったが、今日は阿佐田さんをしのぶ麻雀大会。故人をしのびながら楽しんで、根強いフアンが全国から訪れる大会に育て上げてほしい」と語った。(左上写真)

 長野県上田市から訪れた吉橋邦泰さんは、10日夕方に自宅を出発し、午前3時に祥雲寺に到着し車の中で朝を迎えたという、故人の生き方そっくりの参加。10日に行われた色川武大十年忌の法要にも参加し、早くからこの大会への参加を楽しみにしていたという、一関市出身のジュニア小説作家馬里邑れいさんも、麻雀歴十五年のキャリアを生かして大会に臨んだ。

 参加者は50分の時間制限で4回戦を行い、個人と団体で総得点を争った。個人の一位には優勝杯と一万円相当の賞品のほか、満願賞など各種の賞が贈られた。

 千坂げんぽうさんからのメッセージ
 平成元年、作家色川武大、我々麻雀好きにとっての阿佐田哲也が亡くなった後、彼の遺品は一関市に寄贈された。その影にはジャズ喫茶ベイシーのマスター菅原正二氏の献身的な努力があったように聞いている。私も菅原氏の案内で、市に寄贈する前に遺品を拝見したが、相当の数のビデオやフイルム類があり圧倒された。また色川氏の広い交友関係を物語る書簡類も多数あり、これらが一関に残れば市民の貴重な財産になるだろうと感じた。

 遺品は一関市立図書館が管理することになったが、当初は倉庫に眠っているだけだった。その後、法要に出席した市の教育長に公開を訴えたりしたため、図書館の一室に遺品がわずかながらも展示されるようになった。ところがこの図書館は一関市の文化行政の貧困さを象徴するまことにお粗末なもので、市民の改築の願いにもかかわらず居座り続けているものである。しかも、遺品を展示する二階の一室は薄暗い部屋で、遺品の展示替えもほとんどなされていない。その間、図書館を立派にしてほしいといういう市民の声を無視し、観光地に市立博物館を建設するなど、一関市の行政は市民の願いをことごとく封殺してきた。

 色川氏の遺品が九年間もみすぼらしい一室に埋もれているのは、行政幹部に氏の知名度の高さを理解できる人がいないせいではないだろうか。したがって、このまま行政に任せたままではいけないと思った。そこで、阿佐田哲也面での抜群の知名度を市に知らしめ、色川記念館を建設するのが、マチおこしとしても素晴らしい効果があるのだということを見せつけようと考えた。そのためには氏を偲ぶための麻雀大会を行うのが一番ということで、地元の直木賞作家三好京三氏に相談し、開催にこぎつけた。麻雀大会など全く体験していない連中が企画実行したことでした。参加者に十分な満足感を与えたとは言い難いが、これを教訓に来年はもっと充実したものにしたい。

 特に、東京や長野など県外からの参加者にもっと答えるべく努力するつもりなので、来年も多くの阿佐田フアンが一関市に集まるように念じます。(1998.4.11 祥雲寺住職 千坂げんぽう)