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木曽馬籠の藤村記念館に、美しい女文字で綴られた一冊の日記帳が大切に保存されています。若き藤村が愛した佐藤輔子の、明治25年9月から12月にかけての日記で、師藤村の愛を知らぬままに、これからの針路を模索している明治女学校高等科一年生の女性の内面が赤裸々に記されています。本書は、この日記を読み解き、その事実の岩盤に立って、六年越しの調査の末に成った佐藤輔子の初の評伝です。『春』『桜の実の熟する時』に勝子としてえがかれた佐藤輔子は、藤村の文学と生を考える上で、親族や北村透谷についで、きわめて重要な存在です。『新生』に至っても、死んだ妻を乗り越えるように呼び出される勝子。藤村若き日の悲恋神話を、数々の新事実と、藤村作品の虚構と事実の関係の精緻な解析によって、新たな姿に生起せしめた本書は、著者によれば「エツセー的評論」ということですが、資料的正確さを有しており、今後の藤村文学研究に役立つことは疑いありません。 藤村、輔子にゆかりのある岩手県一関市に住む著者は、地の利を活かして、輔子の柿妹の子孫から貴重な資料を発掘しました。新発見の輔子や許婚鹿討豊太郎、藤村の妻となる秦冬子などの写真も貴重です。また「佐藤輔子日記」原本と、『藤村全集』(筑摩書房刊)収録の日記との間に六百数十箇所の相違があることを発見、原本に忠実に検証した成果も見逃せないものです。 作家による評伝だけに、読んでも美しい愛の物語となっておりますが、研究家、藤村文学愛読者のみなさんには、必須の文献となることでしょう。
「藤村永遠の恋人 佐藤輔子」を読んで 一関市 岩井憲一 感動冷めたらぬ間にモノを書くということは、正確に伝達する、という点からみれば偏った評価となることは否めないが、それなりの効果もありうることを期待して筆を進めることにする。 表題は「藤村永遠の恋人 佐藤輔子」だが。一読した印象とすれば、及川和男永遠の恋人と読み替えた方が落ちつく。それもそうだろうと思う。なにしろ作者が佐藤輔子と出会ったのは高校三年生のときで、脱稿したのは六十五歳なのだから。 まず書き出し早々に「我」と「われ」に因縁をつける。主体を強く意識している者のおのずからなるあらわれである。「我」を「われ」に統一することは何事かと。この辺りからすでに作者の傾斜がうかがえるが、実証的なのだからこの事実を認めないわけにはいかないだろう。 喧嘩を売る相手を選ばない。当然その矛先は藤村にも及ぶ。 <<その日、別れ際に、岸本は自分の持っていた帛子を勝子にやって、勝子が持っていたのを自分の方へ貰った。勝子のは、少し汚れて、クシャクシャに成っていたので、そんな物を取換すのは可羞しくも有り失礼でもあると思った様子であったが、岸本の方で無理に貰い受けた。>>(「春」より) 俺のマリアを汚すなとばかりに、ここで猛烈にかみつく。「士族出の女性としての矜持からして、彼女がそのような汚れたハンカチを差し出すことなぞ、絶対にあり得ないのである」。「絶対に」という表現がとても良いではありませんか。 明治期の一女性が、主体的自己を確立していく過程を、佐藤輔子の日記をとおして描いていくのだが、それが読者をして伴に成長していくような錯覚を起こさせる。この錯覚が読者の気分を良くさせる。 いつの時代にあっても、如何に生くべきかということは大切なテーマであるけれど、作者はそのことに終始拘泥しているわけではなく、楽しんでもいる。次は明治二十四年、輔子が普通科最高学年のときに開催された「明治女学校資義損音楽会」を評する場面。 「この音楽会は、いささか珍奇なプログラムを組んでいた。洋琴連弾、唱歌、独唱、洋琴、唱歌、三曲合奏、薩摩琵琶など、奏者や歌い手まで含めて和洋混淆はいいにしても、およそ音楽会らしからぬ演説あり、狂言あり、円朝の落語あり、そして薙刀ありという具合である。」として、輔子が薙刀の達者であることを知らせると伴に、当時の新聞掲載文をも紹介して大いに楽しんでいる。 戻って、輔子の自己に課す厳しい日課と、それを乗り越えていく自制心の一端は、日記のはしばしに見られる。「皆な我をたんれん[鍛錬]する事よと思へば悲しくもあらず。我はこれ生まれなか[が]らの人物にもあらず。只々教育によりて幾分の理りを知りたるのみなれば、この後よく消化して我か[が]ものとなすにあらずは[ば]何事をかなし得べき。」 このような文章を読むと、自ずとこちらも気合いが入ってくるね。あまり気合いが入らない世紀末に、あたら身をすごす者にとっては読んでみたい一書である。効果は必ずある。少なくとも酔いから醒めるまでの間は。
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