谷川俊太郎さんの詩の朗読
一関文化センター中ホールにて(2000.10.21)


 10月21日、一関文化センター中ホールをいっぱいにして、現代詩壇を代表する谷川俊太郎さんをむかえての、楽しいつどいが開かれました。

 これは、今年の「子ども読書年」を記念して「文学の蔵」が取り組んできた事業の最大のイベントで、遠く秋田・盛岡・仙台からも谷川ファンがかけつけ、子どもたちも大勢参加しました。

 地元在住の作家、及川和男さんが聞き役となってのトークでは、虚弱児童だった谷川さんの成育の環境や、思春期から心身ともに元気になって、すぐれた感受性が開花していった経過が、おもしろいエピソードで明かになり、18歳から詩を書き始めた詩人の源泉が、聴衆の心にもしみこんだようでした。

 谷川さんの詩の朗読は、「子どもの宇宙」「ことばあそびの世界」「家族・未来へのメッセージ」の三つのパートでくりひろげられ、聴衆を魅了しました。とくにも、絵本詩 「これはのみのぴこ」の朗読と、拡大した絵の掲示というパフォーマンスには、大きな笑いと拍手が湧きました。また、「谷川さんの前で朗読しちゃおう」のコーナーでは、十八歳の高校三年生も登場しました。

 一関少年少女合唱団特別出演
 一関少年少女合唱団の特別出演では、7月1日の文学の蔵主催の「詩の朗読と合唱のつどい」にも賛助出演したときうたった谷川俊太郎さんの詩曲五曲が美しいハーモーニイで披露され、谷川さんを喜ばせました。

 一関少年少女合唱団は、1998年7月に結成されました。小学校一年生から六年生までと、中学生の団友からなる30名余の合唱団です。代表は大畑玲子さん、常任指揮者は夫君の大畑孝夫さん、ピアノは黒川祥子さんです。

 毎週土曜日、正味1時間40分の練習を、たゆまずつづけています。合唱団通信の「ぼ−こ・あ・ぼ−こ」は、POCO a POCO(少しずつ、だんだんに)という意味ですが、そのとおり着実に力をつけて、その歌声は人々の心にしみいるものとなっており、癒しやはげましを受けて涙する聴衆が多くなっています。

 谷川俊太カさんのプロフィール
 1931年(昭和6年)東京に生まれる。父、谷川徹三(哲学者)、母、多喜子。一人っ子として育つ。幼時、心臓弁膜症だった。

 杉並小学校時代、「何度も級長をつとめたが、学校が楽しかった記憶はない」(「ひとりっ子」)

 豊多摩中学時代(旧制)にベートーヴェンを聴き、音楽を知ると同時に、音楽を超えた人間的なはげましを知った。「ぼくは生きられる」と感動した。自分の誕生日がベートーヴェンと同じことも気にいった。

 18歳ころから詩を書きはじめた。学校嫌いがはげしくなり、成績低下。定時制に転学して、昭和25年豊多摩高校(新制)卒業。大学進学の意志はなかった。

 1950年(昭和25年)12月、父の友人の詩人三好達治の紹介で、「文学界」に「ネロ他五編」を発表、一躍、戦後詩の輝かしい新人として迎えられた。

 1952年(昭和27年)6月、第一詩集『20億光年の孤独』を刊行。「すべての新しいことを知るために/そして/すべての僕の質問に自ら答えるために」(「ネロ」)詩を書くという、詩人としての澄明な意志を明らかにして歩きはじめた。
≪『日本近代文学大辞典』大岡信さんの解説より要約≫

 その後の主な作品に、詩集『六十二のソネット』『愛について』『絵本』『落首九十九』『日本語のおけいこ』『あなたに』全詩集版『谷川俊太郎詩集』『うつむく青年』『空に小鳥がいなくなった日』『日々の地図』(読売文学賞受賞)『定義』『みみをすます』『よしなしうた』『世間知ラズ』『モーツァルトを聴く人』『はだか』『魂のいちばんおいしいところ』など。
 エツセー集『愛のパンセ』『散文』『母の恋文』
 詩論集『世界へ!』
 絵本『ことばあそびうた』『けんはへっちゃら』『こっぷ』『わたし』や、日本翻訳文化賞を受けた『マザーグースのうた』スヌーピーでおなじみの『ピーナッツ』などの翻訳、映画シナリオ、写真、ビデオなど、さまざまな分野で活躍している現代日本を代表する詩人。

 息子さんの賢作さん(ピアニスト)が、高瀬麻里子(ヴオーカル)大坪寛彦(ベース)と組んで、Divaを結成して高い人気を得ているが、現代詩をうたにする試みもユニークで、谷川俊太郎さんが一緒になってのコンサートは大きな話題になっている。

(写真、資料提供:文学の蔵設立委員会)