釣山公園の木曽五木
--島崎藤村と一関--
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島崎藤村と佐藤輔子
木曽馬篭の本陣の家に生まれた島崎藤村(本名・春樹、1872・明治5年〜1943・昭和18年)は、九歳のとき、兄につれられて上京し、親戚や知人など他家に暮らしながら勉強をし、成人しました。明治維新によって、自家が没落の運命をたどっていたからです。
やがて明治学院を卒業した藤村は、文学の道に進む決意を固め、実行しましたが、生活はきびしく、友人の世話で東京四谷にあった明治女学校高等科の国語教師になりました。明治25年の9月、藤村21歳のときのことでした。ところが、まもなく藤村は、教え子の佐藤輔子という一歳年上の生徒を愛してしまい、それを相手に告げることも出来ず、悶々として苦しんだ末、わずか四ヵ月で教職を退いて、関西へのあてどのない放浪の旅に出たのでした。明治26年1月末のことです。
岩手出身の輔子は、親のきめた許婚のある身で、父は国会議員、洋行帰りの長兄は北海道大学の前身・札幌農学校の校長(心得)という上流階層の家の娘で、藤村にしてみれば、師弟関係にもある輔子に愛を告白することはできなかったのです。このあたりまでのことは、自伝的作品『桜の実の熟する時』に、明治の青春の姿としてえがかれています。
関西への放浪の旅をした藤村は、やがて鎌倉の円覚寺にもどってきましたが、恋する輔子を忘れることが出来ず、経済的にもゆきづまって苦悩は深まるばかりでした。そのとき、キリスト教伝道のため東北へ旅してきた友人の文学者・北村透谷から、一関にある「熊文」(左写真)という酒造家・熊谷文之助の長男で文学青年の熊谷太三郎が、英語の家庭教師を求めており、だれか紹介してほしいと頼まれてきた、どうだひとつ行ってみないか、とすすめられたのでした。
ゆきづまっていた藤村は、透谷のすすめと、同人雑誌「文学界」を主宰していた星野天知からの旅費援助によって、傷心の身を一関へはこびました。藤村のいう、つらく長い冬の時代のことです。
ところが、その一関は、輔子の父昌蔵がかつて郡長をつとめていた所で、輔子は一関小学校の高等科を修了していたのです。なんという不思議なめぐりあわせでしょうか。忘れよう忘れようとしている恋人の、その少女期をはぐくんだ町へ来てしまったのですから。
藤村は、東北でも有数の酒造家「熊文」で、大事にもてなされ、太三郎に英語の手ほどきをしながら、平泉やその周辺に遊び、芭蕉や西行をしのんだりしたのですが、輔子や友人たちのいる東京への帰心をおさえることは出来ず、わずか半月ほどで帰ってしまいます。(右写真 藤村が滞在した家 横田実さん提供)
自伝的作品『春』では、一関を八戸と仮構して書いていますが、童話『眼鏡』では、はっきりと一関としています。
帰ってまもなく、藤村は輔子と会います。しかし、お互いに師弟の壁を乗り越えることは出来ず、輔子もじつに苦しみます。藤村は自殺未遂を起こすほどになります。しかし、二人は結ばれることが出来ませんでした。明治27年に明治女学校高等料を卒業した輔子は、父母のいる岩手県花巻に帰り、翌年、許婚の鹿討豊太郎と結婚、札幌に移り住みます。ところが、妊娠によるツワリと、心臓の悪化とで、はかなくも明治28年8月13日に亡くなってしまいました。24歳の若さでした。その知らせを聞いたとき、藤村は、大地がゆらぐように感じられ、あたりが黄色く見えたほどだと、衝撃の深さを作品に書いています。
『桜の実の熟する時』『春』『新生』に、輔子は「勝子」として、くりかえしえがかれています。藤村にとって、生涯忘れ得ぬ女性であったと言ってまちがいないでしょう。したがって一関は、藤村にとって忘れ難い地となったはずです。藤村が英語を教えた太三郎とは、藤村の仙台時代に再会し、おりから『若菜集』を出版しようとしていた藤村は、太三郎から30円の借金をしました。その証文が、木曽馬篭の藤村記念館に残っています。わが国の近代詩の出発を告げた『若菜集』は、今年で刊行百年ですが、その出版のかげに、一関の商人の力添えがあったのです。
豪商「熊文」は、やがて破産の非運に沈み、東京へ出た太三郎と藤村の再会があり、作品『家』では、「榊」としてえがかれています。太三郎が亡くなったときには、香典を送って弔意を表しました。
時を経て昭和12年6月、すでに文豪としての名声を得、日本ペンクラブの初代会長になっていた藤村は、仙台にできた「草枕」詩碑を見にきたあと、足をのばして平泉を訪れ、その夜は、太三郎の妹の嫁いでいた一関の清水家旅館に泊まり、妹ヨシと思い出話に花を咲かせたといいます。そのとき求められて、「行き可ふ年毛また旅人奈里」という芭蕉「奥の細道」の一節を色紙に残しています。
このように、藤村と一関という土地は、深いゆかりに結ばれているのです。
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