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1998年3月16日、一関市内の「和かな」でホームページ「一関からこんにちは」へのアクセス数が、約9ヶ月で10,000に達したお祝いの会をやっていただいた。 その日は、たまたま宮澤さんが本社の編集局へ戻られる送別会にもなった。うれしい日であり、ちょっぴりさみしい日だった。 仕事で来ていただけなかった横田さんからは、電報でメッセージをいただいた。 「みなさん、ありがとう」。ホームページ作成の中でみなさんとの出会い、それには一つ一つの思い出があり、それを記憶の中の時系列順に書いてみた。 佐藤さん 「話せばわかるコンピュータの会(ハナコン)」に初めて参加し、県南技術センターでお目にかかった。手慣れた操作でホームページを作っていく光景は、私には無縁な遠い世界。 ハナコン参加した当初は、ホームページ作成以前の、パソコンの勉強が多かった。気が付いたら、一関からの情報発信をどう活性化するか、それが共通の話題になっていた。 平沢さん 「ハナコン」の活動でいつもご一緒。青年会議所主催、「一関からの情報発信」のパネルディスカッションに誘っていただいたあたりから 、私の一関での生活が変わり始めた。それから、横田さんに引き合わせていただいたことは、ホームページ作成と一関での生活の大きな変化だった。 宮澤さん 朝粥会でご一緒の宮澤さんが、パネルディスカッションのコーディネーターをやられた。戸田信子さんの「一関が元気が出るような情報発信」の話し。会場を出てもいつまでも心のどこかに引っかかっていた。朝粥会の夜の部で宮澤さんに、「私もホームページを作って情報発信をやる」と言ってから、引っ込みが付かなくなり、出来上がったのが「一関からこんにちは」。宮澤さん抜きではできなかったホームページだった。 田口さん 「むぎ」で出会って、パラメトロンという共通の言葉の思い出話が最初。プロバイダーを始めると聞いて、開業までのプロセスも見せていただき、コンテンツの作り方を教えていただいた。田口さんのところでは、いつも酒が入ってからの勉強。私のアイディアは、酒が入っていないと出てこなくなった。 古内さん クリコマネットに加入した。「わからなくても、古内さんなら面倒見てくれる」というハナコン仲間の推薦があって。一関の夏祭りの実況中継、ホームページ作成講座、パソコン教室など、一緒に活動させていただいた。田口さんが「コンテンツ作成の師匠」なら、古内さんは「インターネットの技術の師匠」だった。 岩井さん ホームページ作りの最初のテーマが「釣山公園」。釣山を語るのは、岩井さんをおいていないということを聞いて、岩井さんに「釣山公園の見所」「釣山公園の歴史」の原稿を書いていただいたのが最初。まもなく「木を語る会」のホームページ作りの仲間になった。木を始め、一関近隣の植生などについての師匠であると同時に、大事な飲み仲間。いつも岩井さんと話していて、次のテーマが決まった。 横田さん 釣山公園の最初の原稿ができたが、困ったのが原稿に合う写真。平沢さんに横田さんを紹介していただき、初期はほとんど横田さんの写真を使わせていただいた。写真の取り方の初歩から教えていただき、ついにカメラを数台買うまでになってしまった。横田さんの「水害の写真展」を掲載し、YAHOOに登録されてから、台風が来るたびにたくさんの方が見に来てカウンターが止まらない。びっくりして、故障ではないかと古内さんに電話したこともあった。一年後には、写真撮影と一関の話題を取材してくれる重要なパートナーになっていた。 千葉さん 横田さんの写真展のとき、水害の体験談を聞いた。その原稿を掲載することをお願いしたら、五十年前を思い起こして新たに原稿を書いていただいた。このページを見て下さった方々の感想メールはどれも「すごい経験ですね」だけ。ほかに言いようがないからでしょう。その後、千葉さんの体験談は紙芝居にもなった。 石杜さん 朝粥会でご一緒。いつも石杜さんの取材現場をのぞき、新聞に出た記事を見て、取材のまねごとのお手本にしてきた。所詮、プロとアマの差、それでもたまには石杜さんのような、鋭い切り口のものを書けたらと思っていた。石杜さんには、「おもしろ市」や「古い石蔵」の写真などをいただいて、一関の紹介に使わせていただいた。石杜さんからもらったニックネーム「アマチュア・ジャーナリスト」はいつまでも大事にしたい。 石垣さん 朝粥会でご一緒。朝粥会の送別会でカメラを石垣さんに預けたら、写真屋さんいわく「急に写真が上手になったね」。何が違うか質問したら、「ただ、シャッターを押すだけでなく、ファインダーの中に何があるか見るようになった」だと。ただ一度だけ、「春の藤原まつり」で、石垣さんのニュースより早く出すことにチャレンジしたが、中味の違いを見せつけられて、無駄なことはやめた。 千坂さん(祥雲寺住職) 栗駒山に何度かご一緒し、山のこと、自然のことを語り合い、「木を語る会」を発足させ、代表になっていただいた。「木を語る会」のホームページは「古人の木に寄せる思い」をはじめ、木についていろいろ書いていただいた。千坂さんは、荒廃する里山を何とかしたいと思って始めた雑木林の保全から、樹木葬墓地という答えを出した。一関時代、「むぎ」での飲み仲間。 小池さん かねてからのあこがれの人。一関を理解しようとして調べると、いたるところに小池さんの足跡がある。これだけ一関に愛着を持って書き続けてこられた方は他にいないと思う。そんな小池さんに少しでも近づけたらというのが私の目標だった。 千坂さんと遠野で行われた「地名研究会」に行ったときお目にかかったのが最初。あこがれの人にお会いできた感激で、その時は何も話せなかった。その後、平泉関係の記事を書くときはいつも小池さんに教えて頂いた。 |